2012.03.19 16:00|わたしのこと|
一からの続きね。
「知ってる」のと「知らない」の、どっちがいい?
前回はそんなところで終わってましたね。その続き。
ちょっと僕の話をしよう。
昔の僕は何も解らない、知ろうとしない、そんな人間だった。
だって、知ってしまったら無視できない。
知ってしまったら、苦しみも悲しみも増えてしまう。
知ってしまったって、何も変わらない。
そんな思いが渦巻いていたと思う。
そんな僕が、ものごとをきちんと知りたくなった。
今も、何も解らないのはあまり変わらないけれど、
知ろうとし、解ろうと食い下がる人間になった。
食い下がる今と、知ろうとしない過去で何が違うか?
ものごとに積極的に関わって、
なんとかしようと努力する「資格」を得て、
結果を自分の血肉として活かす決意ができたか、
なかったことにして、
周囲の環境と他者に依存して、
結果を他人の責任として押し付けて、
前進する意思を放棄したか、
その違いだ。
僕は、若輩ながら「書家」だ。
至らないながらも「芸術家」だ。
全部自分で持ってって生きる!
それぐらいの意思がなきゃ、なにもできない。
何かを解ろうとしなければ、
何も創りだすことができないのだ。
自分とは何者か?
人は何を考えているのだろう?
この世の仕組みとはどうなっているのだろう?
宇宙の向こうには何があるのだろう?
そんな大層なことも解りたいし、
今ゴミ箱に捨てたゴミは、どうなるのだろう?
洗剤を流した水は、どうなるのだろう?
ホントのエコって、なんだろう?
そんな身近なことも、できる限り知りたい。
そして知った上で、自分の行動を決めたい。
知らないまま自分勝手に、
「オレはこうだもんね」
って、中学生のガキみたいな決め方はいやだ。
誤解を恐れずに解りやすく言うなら、
「もっともっと大物でいたい」
というだけだ。
全てを包み込む「懐」を持とうとするということは、
きっと世界を本当に大切にする気持ちと同じだ。
そんな思いから、芸術を表現したい。
だから知りたいよ。いろいろたくさん。
知って、責任とって、表現するんだ。
それが僕のアートになりうると信じている。


「知ってる」のと「知らない」の、どっちがいい?
前回はそんなところで終わってましたね。その続き。
ちょっと僕の話をしよう。
昔の僕は何も解らない、知ろうとしない、そんな人間だった。
だって、知ってしまったら無視できない。
知ってしまったら、苦しみも悲しみも増えてしまう。
知ってしまったって、何も変わらない。
そんな思いが渦巻いていたと思う。
そんな僕が、ものごとをきちんと知りたくなった。
今も、何も解らないのはあまり変わらないけれど、
知ろうとし、解ろうと食い下がる人間になった。
食い下がる今と、知ろうとしない過去で何が違うか?
ものごとに積極的に関わって、
なんとかしようと努力する「資格」を得て、
結果を自分の血肉として活かす決意ができたか、
なかったことにして、
周囲の環境と他者に依存して、
結果を他人の責任として押し付けて、
前進する意思を放棄したか、
その違いだ。
僕は、若輩ながら「書家」だ。
至らないながらも「芸術家」だ。
全部自分で持ってって生きる!
それぐらいの意思がなきゃ、なにもできない。
何かを解ろうとしなければ、
何も創りだすことができないのだ。
自分とは何者か?
人は何を考えているのだろう?
この世の仕組みとはどうなっているのだろう?
宇宙の向こうには何があるのだろう?
そんな大層なことも解りたいし、
今ゴミ箱に捨てたゴミは、どうなるのだろう?
洗剤を流した水は、どうなるのだろう?
ホントのエコって、なんだろう?
そんな身近なことも、できる限り知りたい。
そして知った上で、自分の行動を決めたい。
知らないまま自分勝手に、
「オレはこうだもんね」
って、中学生のガキみたいな決め方はいやだ。
誤解を恐れずに解りやすく言うなら、
「もっともっと大物でいたい」
というだけだ。
全てを包み込む「懐」を持とうとするということは、
きっと世界を本当に大切にする気持ちと同じだ。
そんな思いから、芸術を表現したい。
だから知りたいよ。いろいろたくさん。
知って、責任とって、表現するんだ。
それが僕のアートになりうると信じている。
2012.03.18 00:39|わたしのこと|
「知らぬが仏」
そんな言葉がある。
でもさ、
本当に知らないままでいいのかい?
たとえ話をすると、
僕にとって「宇宙空間の話」は実に身近でありながら、
とても遠大でとてつもない深みを持つ、極めて重要な話題だ。
でもかなりの人たちにとって、それはどうでもいい話だろう。
知っている方が偉いとか、知らないから駄目だとか、
そういう幼稚な次元の話ではない。
考え方の違いと言えば、そうなのだけど・・・
「ガン告知」
を望んで、正面切ってガンと相対する意思を発揮するのか、
噓とごまかしで、表面上ではなかったことにして、
なんにもわからないまま、死んでしまうのか、
そのどちらを、人生のあらゆる側面に於いて選びますか?
ってことだ。
長くなっちゃうので、とりあえずここまで。
でもあなたはどう思う?どっちがいい?


そんな言葉がある。
でもさ、
本当に知らないままでいいのかい?
たとえ話をすると、
僕にとって「宇宙空間の話」は実に身近でありながら、
とても遠大でとてつもない深みを持つ、極めて重要な話題だ。
でもかなりの人たちにとって、それはどうでもいい話だろう。
知っている方が偉いとか、知らないから駄目だとか、
そういう幼稚な次元の話ではない。
考え方の違いと言えば、そうなのだけど・・・
「ガン告知」
を望んで、正面切ってガンと相対する意思を発揮するのか、
噓とごまかしで、表面上ではなかったことにして、
なんにもわからないまま、死んでしまうのか、
そのどちらを、人生のあらゆる側面に於いて選びますか?
ってことだ。
長くなっちゃうので、とりあえずここまで。
でもあなたはどう思う?どっちがいい?
自分の声を聴くのが、とても大切だ。
たとえば一本、線を引くとする。
うまく引けもすれば、
斜めになったり、曲がったりもする。
でもそこで、「なぜ?」と考える。
「なぜ、曲がってしまったんだろう?」
こころを落ち着けて、雑音を取り除いてみる。
ざわつく感情を、いらぬ心配を、邪な思いを、消す。
そうすると、手元を狂わす源が見えてくる。
たった今消そうとした、種々の雑音。
それが手元を狂わすのだ、と知る。
そしてその雑音は、まぎれもなく自分が発している。
自分自身の雑音が、自分自身を狂わせるのだ。
そしてそれは、いつでもつぶやいている。
心を静かに、ただ静かにすると、聴こえてくる。
わたしたちは、如何に余計なことをつぶやいていることか。
「忘我」
そのときに、ものごとが上手く運ぶ。
ぼくもいくらか体験している。
散漫な自分に、自分を支配させてはならない。
常に心を研ぎすませて、落ち着いて。
それが「コツ」なのだと知る。


たとえば一本、線を引くとする。
うまく引けもすれば、
斜めになったり、曲がったりもする。
でもそこで、「なぜ?」と考える。
「なぜ、曲がってしまったんだろう?」
こころを落ち着けて、雑音を取り除いてみる。
ざわつく感情を、いらぬ心配を、邪な思いを、消す。
そうすると、手元を狂わす源が見えてくる。
たった今消そうとした、種々の雑音。
それが手元を狂わすのだ、と知る。
そしてその雑音は、まぎれもなく自分が発している。
自分自身の雑音が、自分自身を狂わせるのだ。
そしてそれは、いつでもつぶやいている。
心を静かに、ただ静かにすると、聴こえてくる。
わたしたちは、如何に余計なことをつぶやいていることか。
「忘我」
そのときに、ものごとが上手く運ぶ。
ぼくもいくらか体験している。
散漫な自分に、自分を支配させてはならない。
常に心を研ぎすませて、落ち着いて。
それが「コツ」なのだと知る。



